ブラック業とは

甘えないこと、自分で戦うこと

世の中は甘くないものです。自分がやりたいことや、自分の希望などが報われるようなことの方が少ないのです。どうも、現代の「ブラック企業」という言葉の裏には、そのようなことに対する鬱憤も混ざっているように感じてしまいます。

ブラック企業という言葉を主に用いているのはどうやら若年層に多いように感じます。確かに、今の壮年世代が経験したような「バブル景気」のようなものはこれから望めないかもしれません。「職を得る」ということすら難しくなってくるかもしれません。「年功序列」というどこの会社にもあった制度もなりを潜め、どこに希望を抱けばいいのか、なにを励みにしたらいいのか、わからない時代になってしまったことは事実としてあるのかもしれません。

それでも、私たちは働く必要があるのです。生きていく必要があるのです。自分を高め、自分の価値を磨き、社会に必要とされる人材に、自己鍛える必要があるのです。やがて家族を持ち、大切な人、大切な存在を守れるだけの、豊かな生活を送るための、チカラが必要なのです。なにがあれば豊かになれるのか、その答えの一つが「経済力」です。お金がなければできないことがたくさんあるのです。だから働くのです。だから自分を磨くのです。

その論理にたどり着かない、あるいはたどり着いているけれど、その現実を見ようとしない人の特徴として、「なにをやっても無駄だ」ということを掲げる人がいます。なにをやろうと希望がないと半ば達観してしまっているのです。

ですが、それはインターネットなどの情報に踊らされているだけで、実際にそのような経験をしているわけではないことがほとんどです。それは「なにもやりたくない」ということに対しての「甘え」で、やってもいない、挑戦していないのに最初から「無駄だ」と決めつけているわけです。

そのような人はインターネット上のコミュニティで自分と同じような人を見つけ、共感して喜んでいるのです。同じ人がいると、安心してしまっているのです。そのような人は、永遠に豊かさなどは手に入れられないということです。

その影では、常に自分に挑戦し続ける人がいます。常に挑戦し続けることで、自分の殻を破り続けている人がいます。そのような人は「可能性」を信じている人です。自分の可能性を信じている人、明日は自分次第で変えることができると知っている人なのです。

そのような人は得てしてストイックです。自分に厳しいのです。

可能性を広げる、なりたい自分になるということは、誰かが助けてくれるようなものではありません。自分の道は自分で切り開く必要があります。自分の明日は自分で掴む必要があります。そのようなことができる人が世の中を動かす力を得ることができるのです。そのような人が組織を牽引することができるのです。大切なことは「投げない」こと、「信じる」こと、そして、「甘えない」ということです。

社会で活躍するための方法などは誰も教えてくれません。自分で見つける以外に方法はないのです。