ブラック業とは

人としての尊厳を曲げないこと

世の中にはさまざまな会社があるものです。各企業が生き残りをかけて戦っているもので、さまざまな手法でさまざまな施策を張り巡らせています。

働き方というものも多岐に渡るものです。さまざまな仕事が存在し、どのような会社で、どのような仕事をするのかということは人の自由です。ただ、「会社」という組織は「社会」に対しての「責任」があるもので、社会は甘くないものです。公正的に商売をする、人を困らせないように商売をする、法令を遵守するということが必要で、各経営者の責任としてそれらが必要なのです。

ただ、法律は文章でしかなく、言葉の捉え方はさまざまで、人によって解釈が違ったり、そもそもが、人によってはそんな法律などは知らなかったりするものなのです。そのような状況の裏をかいて、いわゆる「ブラック企業」と呼ばれる会社は世間、そして人に対して違法なことを働く、いわば確信犯として組織的にコンプライアンスを違反する団体なのです。

現代では仕事を得ることもなかなか難しいものです。生きて行くためには働く必要があるのですが、リベラルになった世の中ではなかなかそれも難しいもので、雇い主に対して自分の価値を知ってもらう必要があるのですが、それをうまく表現できなかったり、そもそもなんの実績もなかったりして、「仕事を選ぶ」ということが難しいのです。仕事を選ぶことができない人は、「それでも働かなければいけない」ということを考えて、雇ってくれるところであればとりあえず良い、と思うものです。そのようにしてたまたまブラック企業に勤めてしまうケースが多いのです。

そして、そのようにして入社した人はいくらがんばっても意図的に実績が残せず、次の会社を探すということもできず、そのままその環境に対して「諦め」を持ってしまうことがほとんどです。世間は厳しいもの、として、自分はそのような会社でしか働けないと考えるのでしょう。それが、ブラック企業がなくならない理由です。

理想的な会社などは確かに存在しません。何もかもが理想的で、整った会社などはどこにも存在しないのです。どのような点に妥協できるのかということと、どのような点は絶対譲れないのかということ、それを自分のなかでしっかりと持っておくことが必要で、それをどこまで貫くのかということが大切です。

何よりも曲げてはいけないことが「人としての尊厳」を曲げることです。働くことは確かに大切です。仕事をしてお金を稼いで、生きていくことが何よりも大切です。ただ、だからといって「人として」という部分を曲げてしまってはいけないものです。人としての尊厳、法律で認められている権利を失うことは、最も忌むべきことです。ブラック企業にまずは勤めないこと、そしてもし勤めてしまったのであれば、労働基準局に告発し、いち早く次の仕事を見つけることが大切です。

仕事がなかなか見つからないということであれば、まずは自分を磨くことです。自分の人生、自分の生活は、誰も助けてはくれないものだからです。